幼児性
家族は長く一緒にいて自分の主張をしあうところが仲良しの証拠だと思っているところがあります。
家族とは、他人に対して言わなくてすむわがままを、目の前の家族という名の特別な存在に対しても言わないという訓練の場なのです。
あることを他人から言われた時に、その他人に対しては腹を立てたり怒ったり、怒鳴ったり、いらだったりしない。
ところが、同じ言葉を夫夏間、子供から言われたら、ものすごく激昂して、腹を立て、怒って、怒鳴りまくってしまうという人はいませんか?
実は結構いるのですが、そういう性質を幼児性といいます。
つまり、この人には甘えていいという特別な感情を持っているわけです。
もしここで踏みとどまることが出来るなら、その人は忍耐力というのを持っているわけです。
自分で自分の感情が制御できているんですね。
それがある人との関係では制御できて、コントロールできるのに別の人との関係で社コントロールできないというのは、制御できないのではなく、制御しないのです。
家族だから、妻だから、おっとだからお言う言う理由で制御しないのは、甘えているという意味でそれを幼児性と言います。
結婚というのは、幼児性の克服のための訓練の場なのです。
そのところに気が付かない限り、多分穏やかな家庭生活というのを得ることはできません。
家族というのは、わがままを言い合うために存在するのではなく、わがままを言い合えるような人間関係が目の前にあって、それでなおかつそのわがままを言わないために存在するのです。
言わないということは大人になるということです。
その話をしたらある人がこういいました。
それではストレスをどこで発散するん?と。
もう一度言います。
家庭というのはストレスを発散する場ではありません。
幼児性でわがままをふりまきたく実況設定をされているのが家庭。
そこで自分がいかに幼児性をふりまかないで、それを克服していくかということ。
それは業というものですけれど、その業の克服のために、家庭というものが存在するのです。
家庭とお言うところは、人間が成長する場所なのです。
幼児性というものを克服するために家庭が存在するということがわかってくると、子供との関係、親と子の関係というものも見えてきます。
地涌は親が子供を育てているのではなくて、子供が親を育ててに来ているということに気づきます。
結婚した時に、自分だけのわがままで生きてきた人生から相手が一人増えるわけです。
つまという名の家族が。
そして、子供ができた時にも、もう一人別な存在ができてきます。
ツナや夫な子供が自分の思い通りにならなかったりすると、感情をかき乱されます。
その時に、どんなことがあってもいら立ちしないということの訓練の場として、実は家庭が存在する。
ですから、家庭はわがままをいうところではないし、ストレスを発散する場ではないのです。
昨今、親がしつけと称してイブンの子供を虐待したり、妻に暴力をふるったりする記事をよく見る。
そういう人には、幼児性がある。
どんなに偉そうなことを言おうが、我慢できなくて、わがままで、自分さえよければいいという、甘えの抜けない幼児と一緒だ。
おとなになり切れない幼児性のある人は、わがままをふりまきたくなる状況設定されている場(家庭)で、自己コントロールができない。
これは家庭だけでなく、例えば飲食店で、お金を払っているから私はお客だと威張ったり、怒鳴ったり、苛立ったりする人も同じ。
あるいは会社の中で上司が部下に接する態度も。 年配者が若者に対する態度もみな同じ。
幼児性があるから、ものすごく激昂したり、腹を立てて怒ったり、怒鳴りまくってしまう。
家庭はわがままを言うとことではないし、ストレスを発散する場ではない。
大人になる修行を続けたい。